自分が介護を受ける、想像できますか?
たまに耳にするのが、
「年とったら施設に入るわ」
これが本心かどうかは置いといて。
「施設」ってどんなところをイメージされているんでしょうか。
本当にピンキリなので、もちろんいいところもあるし、
ひとり暮らしをするよりは、同世代の方が多くいる施設に入った方が
楽しく安全に暮らせるという考えももちろんあります。
なので「施設に入るな」と私が言うことではありませんが
いいところばかりではありません。
早朝の巡回に目を覚まし、
朝食ですよと起こされてダイニングに行くも、
実際配膳されるまで時間がかかり待ちぼうけ。
自身が自立していても入居者間にADLの差があれば
居心地が悪くなるのが正直なところ。
もし歩行が不安定であると判断された場合、
転倒させないように安全に安全にと、
○○さん、立たないで!待ってて!車いす持ってくるからー!!!
こういうところ、非常に多いと聞きます。
実際、私と体操されている方で他にもサービスを受けている方は、
「ここに来たら自分ができることをさせてくれるから嬉しい」
とよく言ってくださいます。
安全第一という言葉のせいで外出ができなくなると
日光を浴びないし、体力も使わないので、
夜は寝つきが悪いです。
これが続くとどうなるか。
眠剤投与。
薬には副作用がつきものです。
また家族が「自分のため」に時間を割くようになります。
その時間、家族は今までは何をしていたんでしょう。
お仕事だったら、その分の収入が減ったり、キャリアアップを諦めていたり
職場でのつきあいも当然減ります。
収入が減っても、介護のためにお金がかかります。
いくら介護保険を使おうとも、それまで払わなかったものですから
家計的にはマイナスですよね。
まぁお金はなんとかなったとしても、
家族としては心労が増えます。
身体的疲労は言うまでもありません。
加齢とともに足腰が弱ったり、関節の痛みが出てくるのは
私は自然なことだと思ってます。
そこは助け合いです。
介護という言葉が存在しなくてもいいくらい、自然なことと思います。
※優先座席を設けていない鉄道会社がありますね。
どの席も状況に合わせて譲るってことは、ごく自然なことですよね。
で、年を取っているから優先!というのも私はどうかと。
立てる人は立ってていい。だって登山帰りのシニアに「若者は立ちなさい」と言われても…ねぇ。会社帰りでぐったりな若者だって座りたいんです。笑
介護を受けるという形もいろいろですが、
自分がその立場になった時を想像してみて下さい。
リアルに!!!!
誰がどうかかわっているのか。
今自分がやっていることができなくなるというのは、どういうことか。
「年を取ったら施設に入る」
「年を取ったら介護サービスを受ける」
これがどうか「当たり前」になりませんように。