戦後教育
神戸で介護予防運動を行っています 三宅麻紀です。
戦中戦後はとにかく我慢の時代。
ぐっとこらえて、自分のことは後回し。
世の為人の為にと働かれ、
日本をこんな立派な国にしてくださいました。
一緒に運動とかしていると、ふとこんなことを思い、
勝手にうるうるしてしまうこともあるのですが(しょっちゅう!)。
この我慢することや、自分を後回し、
世の為人の為……はあくまでも私は当時だったからこその精神だと思っています。
物理的に何もないんです。
戦争にも負けて、アメリカの支援のもと働くにはとにかく「従う」しかない。
それは私の想像を超えるもので、当時を生き抜いてくださった人生の大先輩には頭が下がります(あれ、冒頭に戻りそう!)。
しかし時代は動いています。
時代が変わっているのです。
なのに教育が変わっていないんです。
日本の教育は戦後のまま!
現代は良くも悪くも自由な時代。
良くも悪くもって言ったのは、選択肢が多すぎると人は混乱するからです。
買い物でもそうですよね。3つまでが限界やと思います。
そんな「自由」な時代に自分で決断する力がない人は
誰かの指示に従うしかないのですが、
少なくとも物質的には非常に豊かな日本において
そうそう「危機」に直面することがないので、
ふと自分のこころに気づいてしまいます。
「なんか違う」って。
でも自分で決断することをしてこなかった、
「みんなと一緒」と教育されてきたので、
主語を「私」にした言葉が出てこない。
日本語って主語がなくても成り立つでしょう。
時にそれは美しさを纏いますが、
自分のこころさえ主語を失うので、本音がわからなくなるんです。
みんながこう言っているからって。
ちなみに英語は主語が必要ですし、
小さい時から「あなたはどうしたいの?」
「イエス?それともノー?」という教育を受けてきています(私が受けたわけではない)。
うつ病が多いのは日本なのはよく知られたことかと。
この戦後の教育を受けてきた高齢者のみなさんが
たびたび陥っているなと感じているのが、
「医者は絶対的立場である」
ということ。
主治医がいるのに他の病院に行くのは申し訳ない!
と言う人の多いこと!
この戦後教育ネタ、続きます。